現代 庶民に飼われている狆
「おしん」
増上寺節分と狆
もうすぐ節分ですね。
東京 芝の増上寺、節分には狆のお練り(パレード)と豆まきがあります。
増上寺には徳川家の墓所があります。狆は徳川家で可愛がられていた犬でした。
狆飼いとして、増上寺節分に参加することは憧れです。今年も随分悩みました。・・が、豪雪地帯の茶々丸地方。毎日雪かきに追われ、丈夫ではない茶々丸を連れ出すのは現実的ではない気がして、今年も見送りです。
狆飼い主さんたちのSNSを楽しみにしています。
徳川綱吉と生類憐れみの令
狆は、大名家や幕府など、一部の特権階級だけが飼うことができた憧れの犬種でした。
江戸城でも狆は可愛がられていました。
犬公方(いぬくぼう)と言われた徳川綱吉は、一時期200匹の狆を飼育。
狆は、日本犬の中で唯一、室内飼育でブリードされた犬種です。
当時、城の女性たちは、狆を飼うことを遊びとしていました。
江戸城の女性は1000人。
徳川綱吉の研究熱心な性格から、優秀な狆ブリーダーが江戸城にいたと察します。
中野の犬小屋
現在の中野に、中野区がすっぽり入るような巨大な犬小屋を作ります。
雄犬と雌犬を分けます。当時でも高価だったヒノキ使用。犬の世話をするスタッフ在中。総費用は現代のお金で120億、税金使用。
当時でもフィラリアはありました。茶々丸はフィラリア予防にヒバ油を使っています。私個人の勝手な妄想ですが、ヒノキ材を使ったのは、犬の疾病予防ではないでしょうか。
生類憐れみの令とは何だったのか
半世紀前、私が小学校で習った「生類憐れみの令」は、人より犬が大事、蚊も殺してはならぬという悪政でした。
近年、この「生類憐れみの令」について、全く違う見方が出て来ました。
生類 生きとし生けるものすべて
憐れみ 大切にしなさい
当時の江戸の状況です。辻斬りは禁止されていたものの、まだ名残はあったようです。子どもを捨てる、病人けが人老人を追い出す、街には犬があふれかえり、人とトラブルが絶えない・・そういう状況を、綱吉はなんとかしなければ、と思ったようです。
綱吉は儒教思想です。
綱吉と接見したドイツ人ケンペルは「日本誌」で次のように言っています。
「綱吉は卓越した主君である。生活習慣や芸能、道徳の面であらゆる国の人々をしている。」
現代の人や動物を愛護する先駆けの法ではなかったのか と言われ始めたのは、この「日本誌」に書かれていることがきっかけで見直されました。
綱吉は犬がそんなに好きでもなかった?
綱吉を考える上で、もうひとつ問題点があります。
犬好きならば、何か犬との微笑ましいエピソードが記録されているはずなのですが・・1個もない!
綱吉は犬が好きではなかった、というのです。omg
それでは、なぜ犬を大切にしたかというと・・綱吉の母親 桂昌院が、僧侶に「どうして綱吉には子どもが生まれないのはどうして?」と相談しました。
僧侶は「前世に犬を殺生したから。犬を大切にしなさい。」と言ったそうです。
この母親ってのがかなりの教育ママ(笑)
生類憐れみの令 処罰は
実際どのくらいの処罰があったか、というと、22年で69件。平均すると1年で3件、になります。
地方ではほとんど無視されていた法らしい(笑)
「武士たるもの、庶民の見本であれ。」とされていました。処罰されたのは、ほとんど武家。武士たちにとっては非常に苦々しい法でありました。当時の記録は武士たちによるものです。誇張された記録もあるのでは、という研究者もいます。
水戸黄門さまは、綱吉に犬の毛皮を送ったそうです。ぴりっとやりますね、黄門さま。
綱吉の極める性格、やりすぎる性格は、反発を買うものでしたでしょう。
しかし、生類憐れみの令のきっかけ、理念は、私が子どものときに教わったものとは全く異なります。
狆を説明するときに「生類憐みの令の・・」と言うと、皆さん「あぁあぁ💖」と思い出してくださいます。それが悪政ではなく、犬オンリーではなく、生あるものすべてを大事にせよ、という壮大な理念があったのだ、と私は思いたいです。
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